フレットレス

エレクトリックベースにおけるフレットレスは、ほとんどの場合、フレッテッドが存在している前提で演奏されているように思う。フレッテッドをメインで使用している人が、フレットレスの特徴的なサウンドを求めて一時的に使用するという位置付けが主であり、それゆえに、フレットレスの特徴――なかでも、フレッテッドとの相違性を強調するのだろう。しかし、フレットレスベース自身にとってみれば、フレットレスであることがあたりまえであり、フレッテッドとの相違性を強調されたいと「だけ」望んでいるわけではないだろう。
これは単に、多くの人にとってメインで使用する楽器がフレッテッドであるという状況が引き起こしていることのように思う。「通常とちがう選択肢」として、フレットレスは位置づけられる状況にある。ある曲を演奏するときに「ディストーションで歪ませよう」と思うのと同じように、ある曲を「フレットレスで弾こう」と思うわけである。
しかし、フレットレスをメインで使用している人にとってみれば、上に書いたようなことはいっさいがっさい関係ない。フレットレスの特徴を、フレッテッドとの相違性を強調する必要性は消えうせ、単に「エレクトリックベース」という意識で演奏することができる。つまりは、フレッテッドの存在による影響を、意識の上にも無意識下においても受けることなく演奏できる。そうなってはじめて、フレットレスベースの「いいところ」が発揮できるように思う。そうなってはじめて、フレットレスベースの「いいところ」がわかるようになると思う。そうなってはじめて、フレットレスベースをほんとうに好きになったのだと思う。
ただ、状況が作り出す、空気読め的な、フレットレスへの一般的な暗黙の期待は、「フレッテッドとの相違性を強調したフレットレスの演奏」なのだろうなぁ。